古き良きブログ

人の記録。人の一生。

酒をやめた

お酒をやめて半年が経った。やめた理由は特にない。自粛期間中は酒を断つのが簡単だった。zoom飲み会に参加したとしても、勝手に水でも飲んでれば良い。誰にも気にされない。

お店で飲む場合どうしても最初の注文ので注目を浴びる。各々がビールだ焼酎だを注文してる中、オレンジジュースを頼むと「え、飲まないの?」ってなる。

昨日は半年ぶりに連れだって食事に行った。各々がアルコールを注文する中、私は炭酸水を注文した。もう半年も飲んでないので、ここで飲むのはもったいないと思ったのである。

予想通り「え、飲まないの?」と各々が反応した。私は酒をやめた件を報告した。特に咎めらたりはしなかった。

酒をよく飲んでいた頃は、酒を嗜む自分をカッコ良いと思っていた。

私はビールもワインも日本酒も焼酎もウイスキーもブランデーもよく飲んだ。食事に合わせて飲む酒を決めた。

中華料理のときは紹興酒も飲んだりした。中華料理屋のテーブルに、紹興酒の瓶は何だかよく似合った。

和食の魚料理のときは、芋焼酎ソーダ割を注文した。これを注文すると「え?芋をソーダで割るの?」と驚かれる。

私はこれが食事に合うんだと説明する。説明を受けた人は試してみたりする。試した人はだいたい納得する。私は手柄を立てたようで嬉しかった。

バーに行ったなら、スコッチのソーダ割を注文すると決めていた。スコッチの中でもグレンリベットがあればそれを注文した。

私の飲み方は色んな人と食事に行って培われた。一緒に食事している人に教わったり、その人の飲み方を真似たりして出来上がった。

酒をやめてそれを手放すのは少しもったいないとも思った。

しかし酒を飲まない自分をカッコいいとも思っている。以下は幽遊白書の戸愚呂弟のセリフ。

「酒はダメなんでオレンジジュースください」

カッコいいと思う。

私は締まりがない人間なので、立場によって価値観もよく変わるのだ。

それでは皆さん、飲み過ぎにはくれぐれも注意してくださいね。

空が青い。あと丸い。

電車に乗り遅れそうだったので、早歩きで駅に向かっていた。

そんな余裕はないのに夏の快晴が目に入った。青々としていて実に夏だ。

住宅街の細い道から大通りに入った。空の青さに構っている暇はない。いくら夏の快晴が見事でも、空の青さに目新しさはない。空の青さを確認するだけの作業である。確認作業をしている暇はない。

大通りは長い直線である。見通しが良いせいか、私は空の丸さにも気づいてしまった。これはなかなか新鮮な発見だった。やはり地球は丸いのだ。

周りに建物がなかったら、もっと丸さが際立つのではないだろうか。草原か大海原に行ってみたくなった。

コペルニクスが地動説を唱える前から、船乗りは地球の丸さに薄々気がついていたらしい。

そりゃそうだ。空がこんなに丸いじゃないか。

むしろ天動説を唱えた人は何をやっていたのか。さては部屋から一歩も出ずに考えたなと私は睨んだ。

部屋に1人で篭っていると妙な理屈を考えてしまう。私も働いてないとき部屋に篭っていたのでよく分かる。天動説を考えた人にシンパシーを感じる。

調べてみたらエウドクソスという人が考案した説だった。エウドクソスさん自分も気持ち分かります。

けっきょく電車には一本遅れて乗った。

遅刻しないため会社まで少し走らなくてはならない。遅刻はせずに済みそうだ。

YouTubeの朗読動画

YouTubeには朗読動画がけっこう上がっている。私は夏目漱石をよく聴いている。だから夏目漱石の作品に割と詳しくなった。

自分で読んだのは「坊っちゃん」だけで、あとは朗読で聴いた。読むより聴く方がずっと楽である。特に昔の人の本は私にとって読みにくいので聴けて良かった。

朗読動画を上げている人の中には、プロの声優っぽい人と素人っぽい人がいる。素性が詳しく書いているわけではないので分からない。声の感じでそう思う。

プロの声優っぽい人が読む朗読は聴きやすい。声が澄んでいる。

素人っぽい人は頻繁に噛んだりする。朗読以外の雑音がよく入る。淀んでいるのだ。

私が好きなのは素人っぽい人の朗読動画の方である。「三四郎」を朗読している人がいて、その人が特に好きだ。登場人物ごとの演じ分けに癖があって面白い。聴いているうちにこの人こういう芸風のプロなんじゃないかと思えてきた。

三四郎を読んでる人」以外の情報が全くないので判断できない。私としては普通に会社勤めしている人だったら良いなと思う。ロマンがある。

初出勤と朝活

転職した会社への初出勤の日だった。現職ではこれまでリモートワークだったので、出勤自体が半年ぶりである。

私はリモートワーク中なかなか良い生活習慣を手に入れた。できる限りそれを崩したくない。

半年前の出勤していた頃は、いつもギリギリまで寝て電車でも寝て出勤していた。睡眠をとったばかりのリフレッシュした頭で仕事をするためである。決してぐーたらではない。

今日から私はリフレッシュした頭を仕事に使うのをやめにした。この頭は自分の好きな作業に使う。2時間早く起きて仕事の前に好きな作業をする。いわゆる朝活だ。

前々から朝活の概念は知っていた。知っていたけどそんなのハード過ぎるだろと思っていた。仕事に支障が出ないかも不安だ。

とりあえず私は初日をハードに朝活をした。果たして仕事に支障は出るだろうか。これから検証である。ぜひともハードな生き方を続けたい。

ダメ過ぎて会社のみんなに嫌われるのは避けたい。「会社のみんなに嫌われない」「首にならない」これが目標だ。

人生史上もっともひどい目標を立ててしまったかもしれない。

花を買いに行った、続き

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花を買いに出かけた。カンパニュラを買おうと決めていた。

 

花言葉 感謝 夏」と検索したら、カンパニュラとトルコキキョウがが出てきた。

写真で見た感じカンパニュラの方が洒落てる気がしたので、カンパニュラを買おうと決めた。

 

名前も銀河鉄道の夜の登場人物みたいで洒落ている。

 

私は駅中にある花屋に出かけた。カンパニュラの存在はさっき知った。今までそんな花があるなんて知らなかった。花を見ただけではどれがカンパニュラなのか分からない。

 

「カンパニュラっていう花ありますか?」

 

私は店員に尋ねた。さっき知ったばかりの名前なので「ったいう花」と言った。

 

「カンパニュラは今おいてないですね。この前まであったんですけどね」

 

私はその店を後にした。

 

次は駅前の花屋に行った。少し派手目のおばさんが1人で店番をしていた。

 

「カンパニュラありますか?」

 

今度はカンパニュラと断定して尋ねた。

 

「そういえば入ってないわね〜」

 

この店にもなかった。今年はカンパニュラは不作なのだろうか。

 

もう1軒、商店街に花屋があったはずだ。私はその花屋へ行った。しかしそこにもカンパニュラはなかった。

 

花屋の店主は男性だった。店主はとても親切に対応してくれた。

 

私はその店を出た。大型の花屋に行けばあるだろうか。そんな花屋どこにあるのだろう。私は「大型の花屋」について調べた。

 

調べていて思った。なぜ私はこんなにもカンパニュラを求めているのだろう。花言葉がそんなに大事だろうか。大切なのは感謝そのものじゃないのか。

 

1軒目の店員さんも2軒目の派手なおばさんもとても親切に対応してくれた。さっきの男店主だってそうだ。その人たちに感謝の意を表すべきじゃないだろうか。

 

私は何の花でも良いので、今出た店で買おうと決めた。もう暑くて歩き回るのも嫌だ。1軒目と2軒目の店員さんたちはごめなさい。

 

私は店に戻り、カンパニュラじゃなくて良いので窓における花が欲しいと店主に伝えた。

 

「ここら辺の花が良いですよ」

 

店主が勧めてくれ花の中にトルコキキョウがあった。感謝の花言葉を持つ花である。さっきは気がつかなかった。

 

私はトルコキキョウの購入を決めた。

 

「何でカンパニュラ探してたんですか?」

 

店主に尋ねられた。私は理由を伝えた。恥ずかしかったので照れながら伝えた。

「そうなんですね。この間もカンパニュラ探してる男性のお客さんいたんですよ」

 

意外といるんだなと思った。

 

「花屋はあんまり花言葉に気にしないんですよ」

 

やっぱりそうか。そう思っていた。

 

「ネットに上がってるのって嘘多いですしね」

 

では私の見た情報も嘘かもしれない。カンパニュラは感謝の花言葉など持っていないのかもしれない。

 

切り花を1本買っただけの私を、店主は丁寧に見送ってくれた。店主も客に感謝の意を表しているのだろう。

 

カンパニュラを探し回らずに良かったと思った。

街と居場所

私の家の最寄り駅はなかなかの繁華街である。飲み屋が多く雑多な感じがある。

 

家から駅に向かう途中にタワーマンションが立っている。マンションに面している歩道は、樹木が植えられ整備されている。

 

私はその道を通った。木の下に二十歳前後の男が2人座っていた。

 

向かい合って胡座をかいている。地べたにはそれぞれのペットボトルジュースとタバコ、それとファミリーサイズのカントリーマアムが広げられている。片方のジュースはオレンジ色だったのでバヤリースかもしれない。

 

2人とも茶髪でセットアップのジャージを着ている。ヤクザの下っ端のような見た目だった。

 

ダサいと思った。どっか入れば良いのにと思った。カントリーマアムとバヤリースとタバコは合わないだろと思った。

 

その反面「良い」と思った。街を居場所にしている感じがとても良い。

 

フィクションの世界では、よく不良たちが街を居場所にしている。なぜか建物に入らずに路上にいる。

 

それって屋上で寝ている不良くらい、実際にはない光景だと思っていた。

 

繁華街の路上には意外と居場所がない。まず歩行者の邪魔になる。

 

私の目撃した不良たちは、歩行者の邪魔になっていなかった。

 

厳密にはマンションに面している歩道は、マンションの敷地内なのかもしれない。そこに居座るのは悪なのかもしれない。

 

「土地なんて誰のものでもない」そんな不良ならではの反骨精神も感じる。

僕らが花を買う理由

花を買う機会ってあんまりない。あげたいなって思うときはあっても、思うだけで結局は買わない。

 

自分用に欲しいと思った経験はゼロだった。

 

今日はじめて欲しいと思った。窓を見ていたら、ここに花なんかあったら良いんじゃないかと思った。

 

花言葉が「感謝」の花が良いんじゃないかと思った。

 

今まで私は「感謝」を何だか胡散臭く思っていた。ブラック企業の社長ってやたらと感謝するイメージがある。

 

そのせいで何だか「感謝」を快く思っていなかった。

異常である。「感謝」って本来ものすごく快いはずである。ブラック企業の社長のせいで、「感謝」は風評被害を受けていたのだ。

 

私は「感謝」を再評価しようと思う。手始めに「感謝」の花言葉を持つ花が欲しい。

 

花屋の店員さんに「花言葉が感謝の花ください」と尋ねれば良いのだろうか。

 

「ステキ」と思われるだろうか。「何だよコイツ」と思われるだろうか。

 

私は「何だよコイツ」って思われると思う。

 

そもそも花屋の店員さんって花言葉に詳しいんだろうか。花の手入れ方法とかは知っている気がする。花言葉は怪しいラインだ。

 

花言葉に詳しいから花屋になった」

 

そんな店員さんがいたら、ここぞとばかりに対応してくれるだろう。意外と花屋では、花言葉の知識を披露する機会がなかっただろう。

 

花言葉にはキザなイメージがある。キザな奴が花言葉を多用するせいだ。花言葉じたいは別にキザではないはずだ。こちらも風評被害である。