古き良きブログ

人の記録。人の一生。

小池都知事は都の職員のボスである

公務員は世間から叩かれやすい。これは公務員が国に属しているからだ。

「オレたちの税金で飯を食ってるくせに」そんな罵声をよく耳にする。

公務員を我々とは一線を画した、体制側の人間だと思っているからかもしれない。

私には都の職員として働いている友人がいる。友人には体制側の素振りがない。公務員について回るイメージの硬さもない。そこら辺のサラリーマンと同じように働き、同じように生きている。

ほとんどの公務員がそうだろう。叩かれているのは、公務員ではなく公務員という概念なのかもしれない。

そのとばっちりを、生身の公務員が受けている。

「お役所仕事しやがって」「この税金泥棒」

罵声を浴びせられる。たまったものじゃないだろう。すべて概念が悪いのに。

都の職員には小池百合子さんを「社長」と呼ぶ人がいるらしい。長く勤めている人ほどその傾向にある。

「都民」ではなく「都の職員」としての生活の方が長いからかもしれない。「都知事」ではなく「社長」の方がしっくりくるのだろうか。

例えばここに1人の公務員がいるとする。彼は普通のサラリーマンと何ら変わらない。体制側の雰囲気なんかまるでない。

そんな彼が小池百合子さんを社長と呼んでいた。私はそれを耳にする。いきなり彼が政府の犬に見えてくる。体制側度が急上昇だ。

概念を叩いている人たちが群がって来そうな事態だ。

小池さんを社長と呼んでいる人は気をつけた方が良い。

ドンキホーテのPOPのフォント

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会社の近くにドンキホーテがある。私は会社に向かうとき、ドンキホーテの裏を通って行く。

ドンキホーテの裏口の扉には「避難口のため駐輪禁止です」と注意を促す貼り紙が貼ってある。

私は貼り紙を2度見してしまった。

貼り紙の文章は、ドンキホーテのPOPのフォントで書かれていた。もう貼り紙とは呼べない。注意喚起のPOPである。

ドンキホーテのPOPのフォントについては、ドンキホーテのPOPのフォントとしか説明しようがない。

あの丸っこくて余白のない、こちらに迫ってくる感のあのフォントだ。

「避難口のため駐輪禁止です」

こういう注意喚起は普通もっと無機質なフォントで書かれている。さもなければ怒りに任せた手書きである。注意喚起は楽しげに迫って来たりしない。

ドンキホーテはこのフォントに強い思い入れがあるに違いない。自社開発したフォントなのかもしれない。

ドンキホーテ フォント」で検索してみた。ドンキホーテのPOPを元に、誰かが作ったフォントが見つかった。

フォント名は「ドンキ」。ここまで直球なのにオフィシャルのフォントではない。

ドンキホーテが公式に発表しているフォントは見つからない。ただ別の興味深い情報は見つかった。

ドンキホーテには「POPライター」と呼ばれるPOP制作専門の社員が存在するのである。

求人募集もしている。POPライターのインタビュー記事もある。

インタビュー記事によれば、ドンキホーテのPOPは全て手描きである。各店舗にPOPライターが1〜3人在籍している。

POPライターとして採用が決まったら、まずは「ドンキ文字」(記事内でそう呼んでいた)を習得しなくてはならない。

インタビュー記事の方は、ドンキ文字を見よう見まねで習得したようだった。

ドンキ文字の師範的な人はいないのかもしれない。

過去のPOPを手本にドンキ文字を独学しなてはならない。

POPを模写しているうちに気づくのだろう。師範はずっと「ここ」にいた。このPOPを残した先人たちが師範なのだ。

フォントデータとしてのドンキ文字は存在しない。ドンキ文字はデータでは引き継がれない。POPライターの腕から腕へと継承されていくのである。

行ってきますのキスを見た

出勤するために最寄り駅に向かった。

駅前に着くと、停車させたスクーターに乗った男性がいた。その隣には女性が立っている。女性はスクーターから降りたばかりのようだった。駅まで送って貰ったのだろう。

顔立ちと言葉から判断すると、女性は南米の方のようだった。男性の方はヘルメットを被っていたのでよく分からない。

女性の年齢は40代後半くらいだと思う。男性の方もたぶん同じくらいだろう。

女性は急いでるようだった。別れ際、男性の頬にあわただしくキスをした。あわただいながら左右の頬に1回ずつキスをした。

朝の日差しは柔らかい。フィルム映画のワンシーンのようだった。

本当にここは最寄り駅か?どこか遠い街じゃないのか?

疑わしくなった私は周りを確認した。「かつや」も「鳥貴族」も確かにある。間違いなく最寄り駅である。

今日この女性は寝坊したのではないだろうか。歩いて駅に向かっては間に合わない。パートナーにお願いして、駅まで乗っけてきて貰った。

いつもなら玄関を出るとき、左右の頬に1回ずつ「行ってきます」のキスをする。

今日はパートナーと一緒に玄関を出たので、駅前で「行ってきます」のキスをした。

映画は始まったばかりだ。これから女性になんやかんやあってハッピーエンドを迎えるはずだ。

 

あと2時間弱、エンドロールまで見ていたかった。

役所に行った

新しい職場に住民票を提出しなくてはならない。私は役所に出かけた。

役所に行くと必ずひとりは気が立っている人がいる。今日ももちろんいた。私が目撃しただけで3人はいた。

私は気が立たない方なので、そういう人を発見すると少し優位な気分になる。

「こいつよりも私の方が徳の高い人間だな」とまるで徳の高い人間とは思えない思考になる。

役所で面倒なのは、名前や住所を書く作業だ。住民票を取るだけで名前と住所を2回ずつ書いた。

名前なんて今まで何百何千と書いてきた。なぜ今さら2回も書かなくてはならないのか。

日本はデジタル化が遅れている。デジタル化が進んでいる国では、もうこんな作業はないのだろう。

たぶん国民が番号で管理されていて、スキャナーでピッとやったらどうにかなるんだと思う。デジタル化が遅れている我が国に怒りが湧いた。

「名前を2回も書かされた」そんなみみっちい理由の割に、矛先のスケールが巨大で驚いている。

良く噛んで食べる

在宅勤務のときに朝の習慣を色々と増やした。運動したり、読書したりが習慣に加わった。

在宅勤務が終わって、朝の時間が少なくなった。せっかく定着した習慣はやめたくない。

習慣をやめないためには、早起きするしかない。私は1時間早く起きると決めた。

1時間早く起きたものの習慣をこなすには、それでも時間が足りなかった。

朝食の時間を短縮するしかない。

私は良く噛んでゆっくり食事をするので、なかなか苦しい決断である。

私はある時からめちゃくちゃ良く噛んで食べるようになった。

誰かと食事に出かける際には、食べるのが遅い旨の断りを入れる。食べるのが遅くて相手を待たせてしまうからだ。

相手が了承してくれたら、相手がどんなに早く食べ終わっても私は良く噛んで食べる。

食事の相手が社長であっても、私はしばらく待たせて良く噛んだ。

「良く噛んで食べる」その信念には権力も介入できないのだ。

以前はむしろ食べるのが早かった。誰かと一緒に食事へ出かけても、必ず1番早く食べ終わっていた。私は食べる早さに誇りさえ持っていた。

「食べるのが早い」そこにプライドを持つ意味などないと思っている。

私は食べるのが遅い旨を報告するとき、必ず良く噛むから遅いんだと弁明する。 

過去のプライドがまだ残っているだ。このプライドを失ったとき信念はさらに強くなるかもしれない。

新しい会社(2週目)

「新しい職場のやり方のここをこうすれば、もっと効率よくなりそう」とか、私の中での職場に対する意見が出てきた。

私個人の作業スピードはまだまだ遅い。そんなデクが、組織全体のやり方に口を出したらどうなるだろう。「まずお前が頑張れ」なんて声が聞こえそうだ。

まずは自分が一人前になってから口を出そう。

私は今までそんな考えで失敗してきた。

やっぱり自身の能力に関係なく、意見はどんどん言った方が良い。そうしなければ何も巻き起こらない。

意見を却下するか受け入れるかは。相手次第である。言うだけ言って、あとは相手に委ねれば良い。

黙っているのは謙虚のようで実は違う。自分の身を案じての行動に過ぎない。

「あいつは口だけだ」「自分を棚に上げるな」そんな批判を避けるための行動である。

それから単純に、仕事の遅い奴が理想を熱く語ってる光景はなんか面白い。

偉人の伝記をドラマ化した「◯◯物語」の第1話のようである。これから何かが始まりな予感だけはする。

たぶん日常は続く。

前向きな陰キャ

外向的な人は、友人と過ごしたりして休息を取る。

内向的な人は、友人と過ごしても疲れてしまう。だから一人で休息をとる。

自粛期間中、私は人に会わなかった。最近になって久しぶりに友人と会った。私はその友人に特に気を使わない。友人と話しているのも楽しい。

それなのに家に帰ると何だか疲れていた。私は内向的な人間なのかもしれない。薄々は気づいていた。

人と会うと疲れる。今まで人と会うのが当たり前だったので気がつかなかった。人と会わない期間を体験して初めて分かった。

実をいうと私は人と会うのが好きだし、割とすぐに心を開く。性根は内向的でも趣向は外向的なのだ。

でも心を開いてるのに、心を閉ざしていると勘違いされるときがある。見た目と声と喋り方が暗いからだ。趣向は外向的なのになぜか暗いのだ。

暗いからといって後ろ向きでも悲観的でもない。私はとても前向きで楽観的である。

私の性根は内向的である。そのくせ趣向は外向的で、それでいて暗くて楽観的。

キャラがぶれまくっている。まるでキン肉マンのキャラのようだ。