逆さまの意図はなんのか?
ロードサイド沿いを散歩していら、本屋があった。潰れたハローマックをそのまま居抜きして使っているような店だった。
看板には大きく「本」と上下逆さまに書いてある。
店名や扱っている商品名を、上下逆さまに書いている店をたまに見かける。だいたいロードサイドで見かける。なぜか駅前では見かけない。
いったいどういう意図があるのか。
「高い」「不味い」「遅い」これらの言葉を逆さまにしている店もたまに見かける。
こちらの意図は、非常に明確で分かりやすい。
「高い」「不味い」「遅い」を逆さまにして「安い」「美味い」「早い」をアピールしている。
では「本」を逆さまにしたから何なのか。逆から読むと「んほ」である。何なのか。
本は「もと」とも読める。逆にすると「とも」つまり「友」
「我々は友好的である」そう伝えたいのだろうか。
昔の本屋は立ち読みに厳しいイメージがある。
のうのうと立ち読みしていようものなら、店の親父がハタキを持ってやってくる。客の近くをパタパタやって立ち読みを妨害する。
本屋の親父にとって、客はある意味で敵だったのかもしれない。
そんな親父にうんざりしていたのが親父の息子。本屋の2代目だ。
2代目は考える。ハタキ以外に立ち読みを防ぐ方法はないものか。どうにか客と友好的な関係を築きたい。
親父は言う。
「無理をいうな客は敵だよ、あれで追い払ってやらんといかんのだ」
本当にそうか?
2代目は試行錯誤を繰り返す。
立ち読みしている客に笑顔で近づいてみてはどうだろう?
客は立ち読みをやめなかった。
親父は言う。
「無理なんじゃよ」
2代目の試行錯誤は続いた。気づけば10年の月日が経っていた。
親父は1年前に他界した。けっきょく死ぬまでハタキを手離さなかった。遺影の顔もどこか無念そうである。
その日も店には立ち読みの客がやってきた。客はグラビア雑誌を読み始めた。2代目はやれやれとハタキを持って客に近づいていった。
客は袋とじを覗き見しようとしていた。袋とじは簡単には見られない。
2代目は何かに気づいた。
「本をビニールで包装してはどうだろう」
イノベーションが起きた瞬間だった。ビニールで包装された本は立ち読みできない。
ハタキはもう持たなくて良い。その手はかたい握手を交わすためにある。握手の相手はもちろん客だ。
遺影の親父も朗らかに笑っているような気がした。
客はもう敵ではない。
「友である」
2代目はその思いを店の看板に込めた。
上下逆さまに書かれた「本」それは2代目の魂である。
満足いく答えに辿り着いて、私は家に帰った。